音楽とエロゲと哲学の庭

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World Pool 【Bizarre Girl 3】

「と、言うと?」

 

「そのまんまですよ。私の備蓄している食料が全部なくなったんです。あの板チョコが最後だったんです。だからもう、少なくとも食料と呼べるものはここにはないです」

 

 少女はそう言うと、パソコンに負けず劣らず大きな駆動音を鳴らしている冷蔵庫を開けた。しかし中にはまともなものはなに一つとして入ってはいなかった。空になったペットボトルの容器だけが無駄にスペースを占領しながらそこに鎮座している。

 

「餓死しちゃいますね」

 

「どうするのさ」

 

「さあ? 多分極限状態になったら、この着ている服とか机とか齧りだすんじゃないですか?」

 

「外に出て食料を探しに出ればいいじゃないか」

 

 僕がそう言うと、少女は目を伏せた。

 

「嫌ですよ、そんなの」

 

「なんでさ」

 

「だって私、もう死にたいんですもん」

 

 にへへ、と恥ずかしそうに少女は笑う。

 

「だからここで餓死しますよ」

 

「そんなの…………だめだ」

 

「どうしてですか?」

 

「どうしてもだ」

 

「あのですね、それってとっても傲慢な願いごとだって気付いてますか? 生きろって願いは、とってもとっても傲慢なんですよ」

 

 僕は唇を噛んだ。

 

「私、あなたが羨ましいです。だってもう世界なんて滅んでしまうんですよ? 今まで必死で積み上げてきたものがあっけなく崩れ去って、大切なものも大切じゃないものも全部一緒になっちゃって、初めからなんにもなかったかのように全ては消えるんですよ? そんな息苦しい世界で必死に腕と足をばたつかせてまで生にしがみつく理由を、私は見出せません」

 

 少女はそう言うと、僕のリュックサックを持ってきてくれた。随分と薄汚れたそれは、少女の腕の中でぐでんと身を垂らしていた。

 

「ごめんなさい、追い出すようで申し訳ないんですけど、もう帰って下さい」

 

 僕は少女に部屋から追い出された。部屋の外は地獄のように暑かった。

 

 でもこれが正常なのだ、この地獄の暑さこそがこの世界の普通なのだ。そう思うと、もう一体なにが正しくてなにが間違っているのか分からなくなってしまいそうだった。

 

 僕は靴を履いてドアに手を掛けた。ここでこのドアを開いて、そうして閉じれば、僕とこの少女との関係は途切れてしまう。少女は餓死して、僕は旅を続ける。そうして世界はいずれ終わりを迎える。

 

「最後に、一つだけいいですか?」

 

 ドアを開こうとしたとき、部屋から少女が顔を覗かせた。

 

「なに?」

 

「あなたはどうして、旅をしているんですか?」

 

 旅の理由を訊かれたのは一度や二度ではない。この滅びかけた世界で、安易に移住地を転々とするのは自殺行為だ。単純に次の街に辿り着くまでに干からびてしまうからでもあるし、大きな荷物を背負ってのこのこと歩いている人間なんてどうぞ襲って食料を強奪して下さいと周りに言っているようなものだ。

 

 それでも僕はこんな不可思議な世界で不可思議な旅を続けている。そうしてその理由も、僕は旅に出たときから一貫している。

 

「世界が滅ぶのを、ちゃんと見てみたいから」

 

 僕がそう言うと、部屋から顔を覗かせていた少女は目を丸くした。

 

「どういう意味ですか?」

 

「そのまんまの意味だよ。どうせ世界は滅ぶんだからさ、どうやって滅ぶのか、僕は見てみたいんだ。色んな人に会って、色んな場所に行って、色んな景色を見て、それで最後はきれいな海が見える砂浜に行く」

 

「砂浜ですか?」

 

「うん。それで西に沈む太陽を眺めるんだ。向こうの方では地平線が見えるからさ、きっと世界の終わりもしっかり見えるはずなんだ。茜色の夕日と世界の終わりを見ながらさ、砂浜に落ちてるゴミでも海に投げながら、「ああ、終わるな」なんて言って、今までの旅を振り返るんだ。でっかいツキノワグマのこととか、僕みたいに旅をしていた女の人のこととか、本気で世界の終わりをなんとかしようとしているじいさんのこととか、後は、電気の通っている部屋でインターネットをしている不思議な少女のこととか」

 

 顔だけ覗かせていた少女は、小さく細い真っ白な二本の足でしっかり歩みを進め、僕の方にやって来た。

 

「それ、なんの意味があるんですか?」

 

「なんもないね。多分全くの無意味」

 

「でも、すてきだと思いますよ」

 

「そう言ってもらえると嬉しいね」

 

 僕は扉を開いた。熱気とほこりが混じった風が吹き込んで来て、僕は目を細めた。

 

「あのっ!」

 

「うん?」

 

「ここから北に数キロ行ったところに、軍の補給施設があります。民間人が入れないところだから、もしかしたら食料や燃料なんかがまだ残っているかもしれないです」

 

「それって…………」

 

「連れて行って下さい。私なら、その中に入れますから」

 

World Pool 【Bizarre Girl 2】

「バカですね」と僕は開口一番に言われた。

 

「バカじゃない!」

 

「原っぱで寝転がってなにしてるのかなと思ったら、はあはあ言って苦しんでるんですもん。バカですよ」

 

 少女はそう言うと、僕に冷たい麦茶を出してくれた。久しぶりに常温以外のものを口に入れたので胃が驚いていた。

 

「こんな気温で水分も取らずに歩き回ってたらダメですよ」

 

「あいにく水分は貴重なんだ。そんながぶがぶ飲んでいられない。それにしても…………」

 

 僕は辺りを見渡した。真っ暗な部屋の中ではパソコンのディスプレイの光だけが灯っていた。物という物が散乱し足の踏み場もなく、南極に放り込まれたのかと思うほどに冷房が効いていた。

 

「まだ電気が通っているところがあるなんてね」

 

「私は特別ですから」

 

 真っ白なパジャマに身を包んだ真っ白な肌の少女は、そう言って無い胸をえへんと誇らしげに叩いた。

 

「なにが特別なんだか」

 

「ひどいなあ、信じてないですよね」

 

「どこからどう見たって、単なる引きこもりかそれに準ずるものにしか見えないね」

「いいですよーだ、別にぃ」

 

 そう言ってマウスを操作する。

 

「ネットワーク生きてないでしょ」

 

「まあ、壊滅状態ですよね。でも、ほら」

 

 少女がとあるページに移動する。そこには二頭身のネコ(もしかしたらうさぎかもしれないけど、ドットが粗くてよく分からない)がカウンターを持っていた。

 

「二千と、四十三?」

 

「はい、ここに訪れた人の数です。『世界が終わりかけて』から、このホームページは出来たんですよ」

 

「それでこんなにもアクセスがあるんだ…………」

 

 ネコ(もしくはうさぎ)は不愛想にそんなデジタル表示の数字を抱え上げていた。ホームページには管理人のブログとチャット欄があった。

 

「ブログ、毎日更新ですよ」

 

「ほんとだ」

 

 

 

 八月三日、水曜日。気温は最高三十五度、最低二十六度。今日も今日とて熱い一日になりそうです! みなさん水分補給をこまめにして熱中症対策をしてくださいね! そうしなきゃ道端でバタンキュー、カラカラに干からびてしまいます! あらあらタイヘン!

 

 来週からは雨模様が続いて気温もぐっと下がり、過ごしやすい気温になりそうですよ! それまでファイト!

 

 今日の星占いは、一位がいて座で最下位はやぎ座です! 一位のいて座のあなた、今日は思いがけない幸運が舞い込んでくる一日となりそうです! 普段やらないようなことにチャレンジしてみると、いいことがあるかも⁉ ラッキーアイテムはチョコレート!

 

 そして残念やぎ座のあなた! 今日は最悪な一日になりそうです…………。世界が滅んでしまうような一日に…………って、もう世界は滅びかけてました! てへ!

 

 あ、えっと、やぎ座のあなた、ラッキーアイテムは歯磨き粉でーす!

 

 まあと言っても、もうテレビなんてやってないのでこの星占い、管理人の私が勝手に適当に決めてるだけなんですけどね!

 

 え、それはテレビも同じだって? もう、そんなこと言っちゃダメですよ!

 

 はい、というわけで今日の更新はここでおしまいです! 最後にいつものテンプレを貼って終わります!

 

『や! 生きてる人! 世界が終わりかけてもデジタルの海で泳いでいる人! や! どうぞチャットに参加していって下さい! や!』

 

 

 

 

 

「…………なんだこれ」

 

「ブログですけど」

 

 僕はチャット欄を覗いた。そこでは無数のネット住民が、世界が終わりかけているってのに相変わらず生産性のない不毛な言い争いを続けていた。やれどこどこは気温も涼しくて過ごしやすいだの、やれそこは食料もなにもないから行くのはバカだけだの、やれあそこは穴場だの、やれそんなこと言ってるのはにわかだけだの…………。

 

 こんな状況においても、議題は変わってもやってることは依然となにも変わっていなかった。こいつら本当に世界が滅んでも、こんな不毛な言い争いを延々と続けるだろうなとそんなことを思った。

 

「しかしまあ内容はどうあれ、インターネットが生きているってのは予想外だ」

 

「以外とみんな知らないんです。みんなもう繋がってないものだと思いこんで、通信機器は捨てちゃったから」

 

 僕もそうだった。もう電話回線もネット回線も使い物にならないし、そもそも安定して電気の供給も望めないので早い段階で携帯は捨ててしまっていた。

 

「でも捨ててない一部の中毒者はいるものなんです。そういう人が自給自足で整備をして、こうやって最悪な形で使いまわしてるんです」

 

 少女はそう言うと、デスクの上に置いてあった板チョコを僕に渡してきた。

 

「どうぞ」

 

「いいの?」

 

「今日のラッキーアイテムはチョコレートです」

 

 別に僕はいて座じゃない。そう思ったけど、素直に受け取ってそれを半分に割って一つを少女に渡した。

 

「? なんですか?」

 

「半分こ。一人で全部食べるのは、ね」

 

「優しいんですね」

 

 僕は少女の出してくれた麦茶と板チョコを交互に口に運んだ。チョコレートなんて、そういえば久しぶりに食べたなと思った。最後に食べたのはいつだっけ、思い出せない。

 

「はい、これで私の備蓄している全食糧がなくなりました。もうこれから私は餓死する運命にあります」

 

「は?」

 

 僕は間抜けな声を出した。

神聖かまってちゃん聴いてボロボロ泣いてたし全部嫌いだし全部大好きだし

音楽が好きなわけじゃない女食うために顔だけでやってるクソバンドが死ぬほど大嫌いな高校生が僕だった。音楽が好きなわけじゃない女食うために顔だけでやってるクソバンド嫌い選手権が開催されたらぶっちぎりで優勝してあまりに強すぎるために次年度から出場停止になるくらいには音楽が好きなわけじゃない女食うために顔だけでやってるクソバンドが嫌いだった。
今はわりと穏健派になってきて、まあまあええやないの、まあまあそんなかっかしないで、とTLに流れてくる怒りや憎しみに満ちたツイートを見るたびに思っている。でも僕だって当時は相当で、あらゆるものに怒ってあらゆるものに憎しみを抱いた。
僕が怒りを抱いたバンドに、神聖かまってちゃんというバンドがいた。
まず最初にバンド名でマイナスだった。なんだそれ、あーあどうせ、そういうもんなんだろ、名前と同じで音楽もちょっと勘違いしちゃった拗らせ野郎がギャーギャー騒いで音楽みたいななにかを鳴らしてるだけなんだろ。分かってるんだよそんなの、もう全部分かってる。そう思った。
次に、キャスをやっているという情報でマイナスがついた。やっぱりそうだ、聴くに値しないクソバンドなんだな。僕はこういうのが一番嫌いなんだ。こういうのをやられるくらいなら、無味無臭な大衆音楽をでっかい顔してやってる方がよかった。こっちに近づかないでくれよ。こっちの世界に近づいて「俺たちはお前らの仲間だ、理解者だ」なんてほざくんだよ。そういうのホントにうざったらしくて迷惑なんだ。お願いだから、関わらないでくれ。
批判してやろうと思った。ボロクソにこき下ろしてやろうと思った。神聖かまってちゃんという文字列を視認するたびに僕はイライラしていた。
ロックンロールは鳴り止まないという曲を聴いた。そのとき、僕の怒りはなぜか収まっていた。なんの感情も抱かずに曲を聴き続けた。頭の中ではピアノの旋律が響き続けていた。

「お前らの中に、ミュージシャン目指してるやついるだろ。ここに来いよ!!!」

の子がそう叫んだ。観客の中にの子に近付こうと手を伸ばして叫んでいる男がいた。みんな目がギラギラしてた。なんか全部ぶっ壊れてぶっ飛んでめちゃくちゃになっていい加減になって死んじまえと思った。でも死んでほしくなかった。死ぬ気で生きたかった。バカ生きたかったしバカ死にたくなかった。ふざけてた。なんか全部ふざけていた。

僕は泣いていた。別にミュージシャンなんて目指してねえし、だっせえし、なに叫んでんだよ、なに気取ってんだよ、だれもお前なんか目指さねえよ。
でも泣いてた。ボロボロ泣いてた。鼻水でぐずぐずだった。

「なんでここ立ってるのかわかんねえよ。だって普段ニートみたいな生活してんだよ、なあ!」

そう言って笑った。最高の笑顔だった。コピーして街中に貼り付けて回りたいくらいの最強の笑顔だった。おいお前ら、お前ら全員薄ら寒いよ。みろよこれ、クソみたいな笑顔だろ? うんそうなんだよ、クソみたいな笑顔なんだよ。このクソみたいな笑顔のせいで僕はもうどうしようもなくなってるんだよ。もうどうにかなっちまってんだよ。

なんだこれ、なんだこれ、どうなってんのか分からない、涙が止まらない、鼻水が止まらない、もうダメだ、最高なんだ。

演奏が終わった。の子は最後、「こういうときだけ、人間っていいなと思う」と言った。僕だってそうだった。全部クソでぶっ殺したい人間だけがどんどん増えて、でもぶっ殺せねえから音楽を聴いて、叫んで、どうにもならなくなって、でもやっぱり最高で、人間好きなのはやめられなくて、ぶっ殺したい人間ばかりで世界なんて滅んじまえって何百回と祈って、でも人間大好きで世界なんて滅んでほしくなくて、音楽聴いて音楽聴いて音楽聴いて音楽聴いて、それでずっとずっとずっとずっと音楽聴いて音楽聴いて音楽聴いて音楽聴いて音楽聴いて音楽聴いて。
僕はそんなんだった。

なんだこれって思った。ああそういや、神聖かまってちゃん聴いてたんだった。

その後、の子が警察署の目の前でラジカセ担いでライブやるキャスを見た。支離滅裂で全然なにいってるのか分かんなくて、もう社会不適合者の人間のゴミがそこには写っていて、あれにはなりたくねえななんて思ってみたりして。
で、結局警察に止められてやんの。ロックンロールは鳴り止んでやんの。なにやってんだこいつ、ホントにただのバカで社会不適合者じゃん。
でもクソ最高だった。まともなやつはの子一人だけだった。画面に写ってる人間でまともなのはの子一人だけだった。他は全員偽物で、の子に歌うのを止めるよう言った警官に、笑ってる女性に、ヤバイものを見るような目のサラリーマンに、全てに腹が立った。お前ら、そうやってヘラヘラして、なんだよ。お前ら全員偽物だよ。本物はの子だけだよ。

ロックンロールは鳴り止んでなんかいねえよ。ずっとずっと鳴ってんだよ。なあ、この文書いてるだけで目頭熱くなってるんだよ、僕。もうダメなんだ、クソ最高なんだよ。音楽ってクソ最高だし、顔だけバンドぶっ殺したいけど人間好きだし、女食いバンドぶっ殺したいけど世界好きなんだよ。全部全部大好きなんだ。ロックンロールに対して斜に構えてるやつ全員ぶっ殺してえよ、評論家気取りも全員ぶっ殺してえよ、あのバンドは終わったとか言ってるやつぶっ殺してえ、全部ぶっ殺してえ、でも全部大好きなんだ。

そんなもんなんだ、僕にとっての音楽って。そんな感情が、神聖かまってちゃん聴いてたら出てきた。最高だよ、本当に。

World Pool 【Bizarre Girl 1】

 

『世界なんて単なる水たまりに過ぎない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なにがおかしかったかと問われれば、初めから最後まで全てがおかしかった。僕らはおかしい世界でおかしい人間とおかしい関係を結んでいた。それもその場限りの弱い関係を。

 

 けれども今になって思えば、世界も人間も関係も、おかしいことは当たり前だったのかもしれない。

 

 少なくとも僕が言えるのは、それらはとても…………素晴らしかったということだ。

正しいことが素晴らしいこととは限らない。限りなく歪んだ形だからこそ素晴らしいということも十分にあり得るのだ。

 

 そう、僕らは、おかしく素晴らしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕はなにも出来なかった。僕はただ生きていることしか出来なかった。

 

 僕は多くの問題に直面した。けれども、僕がそれらの問題を解決することはなかった。僕はどこまで行っても単なる傍観者に過ぎなかった。

 

 物事の結末は初めから全て決まっていたのだと思う。それらは抗うことは出来ない。そう決まってしまったのなら、過程を変えることが出来ても、最終的な結果までを変えることは出来ない。だから僕は多くの過程を変えることは出来たが、結果を変えることは一度も出来なかった。それは人間においても、世界においても。

 

 そうして、自分自身においても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは突然始まった。

 

 そうしてそれは決まっていた。

 

 変えることは出来なかった。

 

 だから僕は旅に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『世界は終わる』

 

 という薄い膜の結末だけが、常に僕らを覆っていた。

 

 だから僕は、その終わる過程を自分の手で作っていこうと決めた。

 

 僕だけの世界の終わりを作っていこうと決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう…………」

 

 僕は原っぱの上に腰を落ち着けた。数十キロもするリュックサックを背中から降ろすと一気に身体が軽くなるのが分かった。そうすると、学生の頃のいやな記憶が突然蘇ってきた。

 

「いいかお前ら、このサポーターは二十キロあるんだ。お前らはこれから常にこれを付けて生活をするんだ。いいか、常にだぞ。勉強をするときも、飯を食うときも、友達と遊ぶときも、寝るときもだ。二十四時間常に付け続けるんだ。そうして大会の当日に外してみろ、俺の言いたいことが分かるからな」

 

 そして大会の当日のとき、僕らは二十キロの重りをごとりと地面に落とした。みんなは口々に「すげえ、身体が軽くなった!」だのなんだのと騒いでいた。

 

「いいか、お前らは今二十キロも身体が軽くなったんだ。一瞬にして二十キロの減量に成功したんだ」と顧問は言った。

 

 そもそも初めからなにも変わっていないだろ、二十キロ減量したんじゃなくて、ただ二十キロの重りを身体から外しただけだろ、そりゃあ常にそんな重りを背負っていたんだから、こうやっていざ外してみると身体が軽くなるのは当たり前だろ、なに言ってんだ、バカかこいつ?

 

 と思ったが、熱狂的な顧問信者としてすでに洗脳済みであったみんなにはそんな単純なことも理解は出来ない様子だった。

 

 僕は大会のすぐ後、その部活動を辞めた。顧問には散々根性がないだの逃げ癖がつくだの一緒にやって来た仲間を裏切るだの言われた。それでも辞めますと言ったらため息を一つ付いて、顧問は僕の退部届を受け取った。それから顧問とは一度も話はしなかった。学校ですれ違って僕が挨拶をしても、顧問は僕のことを無視した。顧問は僕のクラスの社会科の担当だったが、授業中に指名されることもなく、テストで八十点を取っていたにも関わらず成績表には五段階評価で二がついた。だからといって僕は抗議をしたわけではなかった。

 

 こういうものか、と思っただけだった。

 

 僕は草木の上に寝っ転がって空を見上げた。空には刷毛で塗ったような雲がべったりと張り付いていた。それらが一定のスピードで一定の方向へと流れていく。

 

 地球が回っているんだ。僕は全く感じないけれど、地球はありえないようなスピードでぐるぐるぐるぐると回り続けている。それを二十四時間、三六五日。

 

 たまに三六六日。

 

 二十四が終わったらまたゼロから二十四を数え始める。三六五たまに三六六が終わったらまたゼロから三六五たまに三六六を数え始める。延々と、人間が消えて生物が消えて、地球上からなにもかもが消え失せても、宇宙がバンと爆発するそのときまでずっとずっと地球はぐるぐるぐるぐると回り続ける。

 

 律義なものだ。

 

 そう考えると、急に地球という存在が愛しく思えてくる。そうか、お前も独りぼっちか、それなら僕と同じだ。

 

 地面はひんやりしていた。顔中に伸び切った草が当たってくすぐったかった。どこからか風が吹いて僕の身体を優しく撫でていった。太陽がじりじりと肌を焦がす音が聞こえた。

 

 僕は目を閉じた。このまま少し眠ろうと思った。今日は結構歩いたし、食料もまだ十分余裕がある。だから、たまにはこうやって寝っ転がって地球と一緒に眠ってみるというのもいいものだと思った。

 

 あくびを一つすると、まぶたの奥がずっしりと重たくなっていくのが分かった。そうしていつの間にか、僕は眠りについていた。

自由なカモメと遠くの島 続く

 世界はいつ始まったのか。
 夏はいつ始まったのか。
 それは十年前だった。
 十年前に世界が始まり、夏が始まり、そうしてここまで続いてきた。








「だって、その方が気持ちがいいから」
 少女はそのまま歩きだした。一体どこに行こうとしているのかは分からなかったが、僕は少女の後を律儀についていった。

「ねえ」と僕は少女に訊いた。
「キミは一体誰なの?」
「誰だと思う?」
「それが分からないから訊いているのに」
 僕がそう言うと、少女は立ち止まり振り返った。
 なにか……ずっとなにかが引っ掛かっていた。初めからなにかが少しずつおかしかった。歯車は正常に回っているように見えて、少しずつ速度を変えて回っているような気がした。

「もう分かっているんでしょ?」
「なんの話さ」
「惚けない方がいいよ」
「だから、なんの話か分からないよ」
「私の正体、初めから分かっているんじゃないかしら。なのにどうして、ずっと気づかない振りをしているの?」
 僕はごくりと唾を飲んだ。

「どうして、私の正体を訊いたの? 初めから分かっているのに。どうして気づかない振りをしているの? 全て知っているのに」
「それは……」
 僕は口をつぐんだ。少女を納得させるだけの言葉を僕は持っていなかった。同時に、僕自身を納得させるだけの言葉を、僕は持っていなかった。

「どうして私だったの?」
「僕にとって、僕の全てというのはキミだったから。世界はキミで成り立っていた。僕はキミが成り立たせてる世界で生きていた。でも、キミは消えた」
「なんだか、少しくすぐったいわね。そういうものなのかしら」
「どうして、あのときキミは消えたの? どうして、十年後の今になってキミは現れたの?」
 僕がそう言うと、少女は人差し指を僕の唇に持ってきた。

「しー、世界に訊かれちゃう」
「そんなこと……」
「あるんだよ」
 少女は笑った。カモメが僕らの頭上を飛んでいった。

「あるんだよ。信じない?」
「信じるさ」
「うん」
 自由なカモメ。僕は自由なカモメに見えて、実状はまったく違っていた。カモメの首には鎖が付いていて、どこへ飛んでいったって最終的には繋がれている柱へと戻ってくる。僕はずっとそうだった。遠くの島へと飛んでいったにも関わらず、十年前の夏の日という柱に繋がれていた僕は、十年かけてそこに戻ってきた。羽根は歪に曲がり、くちばしは取れて、目は見えなくなっていた。柱に止まるとカモメは、ただ力なく眠った。そうして夢を見た。いつだってそうだ。素晴らしい眠りでは絶対に夢を見る。

「アナタに会うために、戻ってきた。だってアナタがそう願ったから。正確には、アナタはそうは願っていない。でもね、アナタが世界のどこかでそう願ったというのは、紛れもない事実なんだよ。十年前にアナタの目の前から消えた私は、こうして十年後に願いに呼応して戻ってきた」
「あのときはどうして?」
「分からないよ」
「分からない?」
「誰にだって、そんなことは分かりっこないんだよ。世界にだって、神様にだって、分かりっこないんだよ。私が消えた理由も、私がこうして現れた理由も。でも、アナタなら分かるかもしれないね。だってアナタがそうさせたんだから。世界じゃない、神様じゃない、アナタがそうさせた。アナタの祈りがそうさせた」
 少女はそう言うと、またどこかへと歩きだした。僕はその後をついていった。

「世界は、アナタと私で成り立っている」
 少女は言った。

「世界は、キミと僕で成り立っている」
 僕は言った。

「くす、素敵。とっても素敵。でもね、それが正解。ううん、正解なんて陳腐な言葉じゃない」
「じゃあ、どう言うの?」
 僕がそう訊くと、少女は答えた。

「それが『世界』」
「それが世界」と僕は繰り返した。

「うん。正解、不正解なんて存在しないの。だってそれが世界だから」



 少女と僕で成り立っている。
 それが世界。
 それが正解とか、不正解という問題じゃない。
 だって、それが世界なんだから。



「キミはこれからどうするの?」
「いつかは消えるかもしれないし、消えないかもしれない。アナタはどうするの? もう夏は終わり?」
「いいや」
 初めから糸なんて絡まってすらいなかった。複雑な問題は実はすごく単純で、だからこそなによりも時間を要した。
 島には潮風が吹いていた。僕は首筋の汗をさらっていくその感触を感じていた。灯台が灯りを灯し、山は深い黒に染まった。カモメがどこかへ飛んでいき、船が船着き場から大きな音を立てて出航していった。


「夏はまだあるさ。今までも、そうしてこれからも」


 夏は続いていた。十年前からずっと、終わってなんかいなかった。少女が消えて僕は、ずっとそれを忘れていた。十年前のキスで夏は終わってなんかいない。今でも続いているんだ。夏は、そうして世界は、回り続ける。僕とキミで回り続ける。




 キミが消えることはもうないのだろう。僕にはそんな確信があった。

自由なカモメと遠くの島 終わり?

 どこから間違っていた?
 その問いが、そもそもナンセンスのような気がする。
 どこから間違っていたんだ?
 僕はなにかを間違えた?
 ……いや、間違えてなんかいない。そもそも、前提から違うのだから。僕は少し感傷的になりすぎていただけなのかもしれない。世界と自分を、自分と島を、重ねすぎていただけなのかもしれない。本当はもっとシンプルで、初めから糸なんて絡まってすらいなかったのかもしれない。
 僕は顔を上げた。太陽が沈みかけていた。船は本州へと向かって波を掻き分け進んでいた。
 そうだった。物事はもっとシンプルなんだ。配電塔も、カレーも、ボブ・ディランも、島も、ため池も、旅館も、カモメですら、もっとシンプルなんだ。
 戻らなきゃいけないと思った。十年前と同じ過ちを、僕はまたしてしまったのだ。だからもう一度夏に、少女に会わなければいけないと思った。
僕は目を閉じた。そうして祈った。

 一体何に?

 簡単だ。世界に祈った。
 そうして僕は、もう一度少女に会う。

自由なカモメと遠くの島 終わり

それから僕が少女に会うことはなかった。僕は島にそびえる山を見上げて、幼い日の小さな記憶の断片をただ集めて重ねることしか出来なかった。そうしていると、どうにも居心地が悪くなった。
島は僕を歓迎していないような気がした。僕は一人だった。気が付いたら……いや、そもそも僕は初めから一人だったのだ。僕に居場所なんてなかった。島にも、大学にも、それこそ僕の部屋にだって、僕の居場所なんて初めからありはしなかった。僕はずっとなにもない真っ暗な空間の中でただ浮いて、なにか音の鳴る方や光の当たる方へと反射的に進んでいたに過ぎなかった。昆虫がそうするように、空気がそうするように、僕もただそうしていただけだった。
僕はどうするのだろう。もう島に残る気はなかった。そもそもどうして、僕はこの島に来たのか、どうして自室を飛び出して電車に乗ったのか、それすらも今はただ曖昧になっていた。なにかとても大きな間違いを犯しているような気がしてならなかった。正しい正解があるのに、僕はそれをことごとく外して歩いてきたような気がした。
身震いをした。太陽が傾いて地面に真っ直ぐな光の線を作っていた。それは僕を貫いて、僕の後ろに大きな影を作った。もう少女はその中の入り込んでしまったのだ。ため池から歩きだした少女は、僕の大きな過ちのせいで二度とその影からは出られなくなってしまった。少女は僕が幼い頃出会った少女そのもので、僕が作り出した僕自身の投影でもあった。少女は僕にぴったりとくっついて、そのまま混ざりあってしまった。僕が幼い頃の少女を顕在化し、少女になった。しかしそれも、もはや終わってしまったことだった。
僕は船着き場へと歩きだした。そうしなければいけないような気がした。帰る場所なんてどこにも存在しないのに、僕は確かに帰らなければなかなかった。
「どうしてこの島に来たの?」と少女は訊いた。
「きっと初めからどうにもならなかったんだね。僕はこの島に来ることで、どうしようもないもの、どうにも出来ないものを平坦にして、そうしてカテゴライズ出来ると考えていたんだ。でもそれは初めから間違っていたんだ。そんなことはそもそも出来なかったんだよ。僕が島に来たところでなにも変わらない。いや、正確にはなにも変えられない。島が悪いとか、僕が悪いとか、そういう問題ですらなかった」
「そう思うの?」と少女は返した。
「そうだよ。だってキミだってそうじゃないか。キミだって影になったんだ。実体を持ったキミはこうして影になった。そういうことなんだよ。この旅は有意義なものだった、それは間違いないよ。キミとの会話も楽しかったよ、全部うそじゃない。でもね、僕は多分あの日、あの子にキスをされて夏が終わったあの日から、こうなることは運命付けられていたんだと思う。僕は十年越しに夢に出会い、十年越しに夢を終わらせた。完結じゃないよ、『終わらせた』んだ。この島で、僕の夏は『終わった』」
そういうと、少女はそれ以上なにも言わなかった。ただ、たゆたう水のように、少女はずっと影の中で浮いていた。もしかしたら眠っているのかもしれない。そうだとしたら、素敵な夢でも見ていたら嬉しいと思った。
僕は最終のフェリーに乗り込んだ。乗客は誰もいなかった。僕は船の手すりに掴まりながら、小さくなっていく島を見つめ続けた。島は小さく、小さくなって、やがて消えた。
僕はそのまま地面に座り込んだ。カモメの鳴き声が聞こえた。僕はそのままずっと、座り込んでその泣き声を聞き続けていた。